2013年6月25日火曜日

猫が帰ってきた

 我が家には18歳になる老猫さんがいる。人間の年でいうと80歳ぐらいなのだが。
 そいつが前日我が家からエスケープしたのだ。室内で飼っていた猫なのですぐに戻ってくるだろうと。
 その日はたいして気にせずいたのだが、丸一日たっても帰ってこない。
 しかも外は梅雨時の雨、これはよろしくないと捜索するも。そうていが良く見つかるわけもなく。
 胸を潰されたような思いで、いよいよこれはポスターなりなんなり作って探さねばと入院していた母親と話していたら。
 ひょっこりと帰ってきたのだ。
 ええい、心配させおってと、撫で回したのはいうまでも無い。
 あーよかった。

2013年6月20日木曜日

楽しませるということ。

 ここ近日ようやく友人たちとカタンで遊ぶことができた。
 私の拙い説明で、アーダコーダ言いながらプレイしたので少しルールを把握するのに手間取ったが。
 1回通せば、概ねみんな理解してくれた。これはありがたい。
 さて、問題はココからである。
  私ふくめて友人たちカタンは、ほぼ初心者と言ってよいぐらいの腕前なのだが。
 それでも数回プレイした友人と、二回ぐらいしかプレイしてない友人とでは明らかな差がある。
 ガチ初心者では、初期配置やどういった戦略をとるべきか、どういった妨害をするべきかの見極めが難しい。
 これにいたっては、やはりプレイ回数をこなすしかないのだが、その間に「なにもできない、面白くない」
 といったことが昨日幾度と無くおきたのが、悩みの種なのだ。
 そうなるとやはり誰かが「支援」をしなければならないのだが、そうすると全体として「面白くなくなるのだ」
 明らかなヒイキは、支援してる人もつまらないし。支援を受けている相手も。「今後どう立ち回ったら良いか」を学ぶ機会を潰しかねない。
 しかしながら、「なにもできない、つまらない」というのはたしかに、カタン初心者の心理的において「次もやりたい」に繋がらなくなる。
 あちらを立てれば、こちらが立たず。
 なかなか難しい。

2013年6月16日日曜日

教えるということ。

 ボードゲームでルール説明をすることを「インスト」と言うらしいのですが。
 これがなかなか難しい、「じゃあ、このwiki見てやってね」というのもあんまりなので。
 あーだこーだ言いながら説明するのですが、どういうことを優先して説明するかで毎度悩みます。
 カタンでは言えば「10ポイント集めれば勝ち」という前提を初めに説明するのですが。
 10ポイント集めるには、何をどうしたらいいか。ということを説明するのが少し難しい。
 全体の流れを言ったしてもたぶんあまりピンとこない、かといっても部分的に説明してもよくわからない。
 そうなるとプレイしながら、となるんですが。そうなると楽しさがイマイチわからない……。

 小改善案として図解説明書を描く。というのを最近やっています。
 チャート図にしてみたりとか色々やってますが、軽いゲームならこれでもいいかもしれません。

2013年6月15日土曜日

お見舞い

 母親が入院した。
 これで何度目だろうか、こうも期間が短く入退院を繰り返すと。
 避けて通れない「親の死」というものを強く感じさせるものがある。
 といっても、今回は単にギックリ腰なのだが。
 それはそうと、こういうときぐらいに読まないのだが待合室などにおいてある、週刊現代や週刊文春といった雑誌がなかなか面白い。
 活字中毒者としては、コラムや記事などヤイヤイと書いてある文章はなんとなく眺め読みしていても楽しいものだ。
 その中で印象に残ったのが、さて、誰だったか、何かの対談だったことは覚えているのだがー。
 うーむ、もう一度読み直しとこう。 

2013年6月11日火曜日

カタンで遊ぶ

 最近ぼちぼちと、ニコニコ生放送のカタン放送(正確には少し違うが)にお邪魔させてもらっています。
 自分でも「あともう少し」という場面があるのですが、なかなか勝たせてもらえません。
 やはり最初に粋がって、道賞をとりーつつ騎士賞を狙ったりするので目立つのかもしれません。
 序盤はボチボチと家を建てつつ、道を伸ばして、街に変えながら騎士賞や勝利点など狙っていくほうが。
 後半的に伸びてくるのではなかろうかと、考えています。
 考えているだけなのが悲しいところ。(勝気なのでスグに伸ばしたりカード使っちゃったりする)

2013年6月10日月曜日

嫉妬心

 web小説でもAA系のSSでも何かしら「心打たれる」作品というのは存在する。
 自分自身も文章を作品にすることを趣味にしているので、そんな一文に出会うと。
「凄い!」と「悔しい!」が入り交ざって、なんとも言えない複雑な気分になってくるのだ。
 その一文を言うまでの過程と、そのセリフのタイミングをどう逆算しても自分(のスキルや方向性的)には書けない場所に位置しているからだ。
 無理して似たようなものを書こうとしたら。それは単なる模倣で、地に足がついていない浮ついた薄っぺらい文書になることうけあいだ。
 自分が「書きたい」と思う物ではないが自分が「感動する」のが、そういう文章だったりするのでやたら始末におけない。
 ぼくの悩みはまことにふかい、個人的に。

2013年6月8日土曜日

こんなソフトはどうかしら?

最近ちょくちょく考えてるのが、画像を読み込んでほぼ手動で動かす、オンラインの机みたいなソフトです。
 友人達とボードゲームを遊んでみたいけど、なんだかんだでボトルネックになるのは人数と時間。
 それを解消するためにオンラインでソフトで遊ぼうというのもありますが、色んなボードゲームを遊んでみようと思うと、BSWだけじゃちっとね。
 というより同人系だとまず無理なのよね……。
 ということで、こんなソフトがあれば手軽にできるのではなかろうか。

 実は、海外に似たようなソフトが二つぐらいあるのだが。
 まあ、うん、ね?

2013年6月7日金曜日

ゴリ押す。

 自分が「おもしろい」と思っているものを相手にも「おもしろそう」と思わせるには、どうしたらいいのだろうか。
 ドミニオンやカタンなどを身内でプレイしてみたい、と考えちょくちょくと誘っているのだが、反応は今ひとつ。
 これは、私自身の人望の低さの表れなのか、それともただ単に「ボードゲームってなんだかメンドクサイ」という先入観が強いのか。
 おそらく、どちらもなんだろう。
 色々なとこで言われているが、ボードゲームは初めての一歩がなかなか難しい。
 そりゃまあ、ルール読んでもいま一つピンとこないし、なにするのかも良くわからない、ことが多い。
 ボードゲーム未経験者には「やってみたら簡単だよ・覚えたら簡単」は、なんの免罪符にならないのだ。
 つまるところ面白さを伝えるには、やはり「やってみる」しかないのだが……。
 鵜が先か卵が先か……。難しいところである。

2013年6月5日水曜日

ドミニオンのプレイ感想

 ドミニオンは、専門学校で学友たちがキャイキャイと遊んでいたなあ。
 ぐらいなもので、なんだかよくわからんゲームというのが正直強い。
 しかしながら、あちらこちらで「おもしろい」と聞くと、うーむ面白いのか。うーむうーむ。
 一人で唸り続けて、最近ようやくドミニオンオンラインのほうで手を出しました。
 生来カードゲームにハブられ続けられたので、えらい抵抗感はありましたが。
 CPU にボコられ続けて、ようやくなんとなく面白さがわかってきた気がします。
 このゲームなんといっても。

 コンボがメチャクチャ気持ちがいい。

 コレ買って、これとこれと買って、そしてコインを抽出するというプランを考え。
 それがカッチリと当てはまり、毎ターンのようにコイン8を出すのはかなりの快感です。

 しかし誰が言ったかな。一人ババ抜き。(ソリティア?)
 対戦してるのに、ほとんど絡みがありません、アタックカードもあるけど、なんというか。
 お前のヒットポインにダイレクトアタック! グアアア! ぐいら激しいものはなく。
 せいぜい「いらないカード捨ててね、あとちょっと見せてね」なものです。
 これを物足りないと言うべきなのだろうか、友人とプレイするにはやや淡々としすぎて盛り上がりにかけるのが残念。

 AI相手に、のんびりとプレイするぶんにはなかなか楽しいので、もう少し頑張ってみようと思う。
 

2013年6月3日月曜日

カルカソンヌを初プレイ

 ボードゲームを、ネット対戦でプレイできるソフトで「カルカソンヌ」をしてみました。
 最近は、ちょくちょくと「カタン」なんぞをやってるのですが、ここいらで他のボードゲームに手を伸ばしてみようと。
 メジャー所でルールも簡単なのでサクっとプレイ。
 いやまあ、簡単といっても私も友人もボードゲームは人生ゲームとか、ガイスターとか。そんなのしかやったことがなので。
 多少は「どうすんやろ」とかありました、特に草地の得点計算。
 個人的には、楽しめたけど友人の反応は今ひとつ。
 一回だけじゃ駆け引き所が、よくわからないもよう……。
 タイルを繋げて街や道をつくっていく楽しみは、あるものの。ルールは簡単といえどボードゲームに馴染みが薄いぶん、やっぱりというべきか「これ、どうしたらええんやろ」というのが出るみたいだ。
 うーむうーむ。

2013年6月1日土曜日

最近考えてること。

 なんというか、無駄に高機能な代物より少し低機能で、なんとかやりくして動かせる物の方が割りと長持ちするのではないか。
 というのは僕自身が、低スペックだった期間がやたら長かったこともあるのだろうか。
 僕がインターネットをし始めた頃は、まだテキストサイトが盛んでBlogなんて一部の好事家たちがチロリとやっていたぐらいなのだが。
 その手軽さと簡単に自分の意見を発せられる場が作れることで、Blogは瞬く間に広がり、そしてそれは今SNSやツイッターといったものに変わった。
 より早く、迅速に、簡単に。意見と考えは発せられ。オープンすぎるほどに情報はオープンになった。
 ここまで早いと、webサイトの荒廃も早い。
 そうなると何処で誰が、どういった情報を発したというのも確認しずらくなる。
 デマも真実もどれも同一価値で人々にまわり、考えることすらなく突き抜けていく。
(いやまあ、過去のテスキトサイトたちがよく吟味して乗っけていたかは定かではないが)
 ここまでごちゃごちゃ言っておいてアレかもしれないが。

 個人サイトの時代よ今一度。

 と最近よく考えてるのです。
 会員制のwebサーバーで、サイトを読み込むのにもやや時間かかるような回線で。
 ゆったりと日記かいたり、掲示板で無駄に論争してみたり、チャットで今夜のおかずを求めたりとか。
 なんかちょっとノスタルジーな環境を作って、日々ニヤニヤしたい。
「掲示板もチャットも日記もサイトももあネットに腐るほどあるじゃないか」
 とは思うけれども、オープンすぎるほどオープンなネットの世界で、今一度ちょっとアングラな閉ざされたネットを見てみたいと思うのは。
 一種の懐古主義なのかしらん?